多趣味な社会人のブログ

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途中下車で簡単に運賃を安くする方法

 新松戸から西千葉へ行くルートについて考えてみます。ルートをヤフーのアプリで検索すると、

 新松戸~西船橋(JR武蔵野線)~西千葉(JR総武線

 片道550円

このように片道550円かかります。ですが、ちょっと工夫するだけで運賃が安くなります。一度、新松戸~西船橋西船橋~西千葉までの料金をそれぞれ見てみましょう。

 新松戸~西船橋(JR武蔵野線)  216円
 西船橋~西千葉(JR総武線)   302円

              合計 518円

 新松戸~西船橋西船橋~西千葉までの運賃を合計すると518円。あれ、新松戸から西千葉(西船橋乗り換え)までの運賃550円より安くなっています。つまり、新松戸から西千葉に行きたいときには、一度西船橋で改札を出て再入場すればよいのです。そうすれば、新松戸~西船橋間の216円、西船橋~西千葉間の302円、合わせて518円になります。新松戸~西千葉まで行くとき、一度も改札を出ないと550円かかりますが、改札を出て再入場すれば518円で済むのです。武蔵野線総武線ともにJRの路線なので、乗り換えの時に改札を出る必要がありません。しかし、乗り換えの際わざわざ改札を出てすぐに入りなおすだけで、運賃が32円も安くなります。往復だと64円、何回もこのルートを使用する人にとっては馬鹿にならない金額です。しかも、乗り換えの待ち時間を利用して出入りするので、時間を無駄にすることはありません。

 この裏技は偶然見つけたものです。ある日、西千葉から、船橋~柏(東部野田線)のルートを利用して帰宅しようと思っていました。当時は、新松戸~柏までの定期を持っていたので、東武野田線を利用して柏経由で新松戸に帰る方が安上がり(計524円)でした。乗り換えのため船橋駅で降り、10分くらい駅の周りを散策しました。駅に戻ってくると、何と東武野田線が運行を見合わせていたのです。人身事故が原因のようで、運行再開のめどが立っていません。そこで、仕方なくJR線(船橋西船橋~新松戸)を利用して帰ることにしました。予定が狂ったので改めて運賃を計算してみると、合計518円。何と、途中で改札を出ずにJR線のみで新松戸まで帰るよりも安いではありませんか!家に帰って詳しく調べてみると、新松戸~西千葉ルートでは、船橋西船橋でいったん改札を出た方が運賃が安くなっていることが分かりました。船橋で改札を出る場合、総武線の乗車中に一度降りなくてはなりませんが、西船橋で改札を出れば、乗り換えのタイミングで改札を出られるので、手間が少ないです。こうして、少し工夫するだけで運賃が安くなる方法を発見したのです。このようなルートはほかにもあります。皆さんも、自分が良く使うルートを調べてみてはいかがでしょうか。ポイントは、出発地と目的地の中間地点あたりで降りてみることを想定して、運賃を調べてみることです。わざわざ一度改札を抜けるルートはヤフーの乗換案内アプリでは出てきませんので、ぜひ自力で探してみてください。

 おまけに、このルートの発見自体も偶然によるものですが、もう一つ偶然に助けられたことがあります。それは、乗り換えで改札を出た船橋駅で10分ほど散策したことです。もし、散策をせずスムーズに東武野田線に乗っていたら、事故に巻き込まれていたかもしれません。後ほどネットの記事で見つけたのですが、人身事故で電車にひかれた人は、大量の出血をしたようで、線路に血が飛び散っていたようです。私は、端の車両に乗る癖があるので、もし人身事故を起こした列車に乗っていたら血が飛び散る場面を間近で見ることになっていたかもしれません。JRと東武野田線の乗換だったため、改札を出ることになり、船橋駅でたまたま10分散策したことで、グロテスクな現場に巻き込まれることなく、節約方法を編み出すに至ったのです!常に思考を働かせていれば、日常のハプニングから思いもよらない発見を得られるのです。

連闘で重賞初勝利のモズアスコット!!

 これまで、2着が続いていたモズアスコット。重賞の勝利経験がなく、しかも連闘でG1安田記念を制覇を成し遂げました。2月の阪急杯から4戦目、さらに、マイラーズカップの後に安土城ステークスを挟んでの連闘と、厳しい条件に思えました。賞金加算のため安土城ステークスを使うが、このレースでも2着という皮肉な結果。様々なマイナス要素が重なり、人気を下げていたモズアスコットですが、鞍上のルメールに導かれて1着でゴールしました。9番人気でも勝てるルメール。上位人気に乗ることが多いこの男ですが、本質は外国人ならではの思い切った騎乗。JRAの通年免許を取って4年目、日本の競馬を知り尽くし円熟味を増してきたように思う。

安田記念は石橋を狙え!!

 安田記念の軸にするべき馬は、タイトルにも書いた通り石橋騎手が手綱をとる「キャンベルジュニア」です。石橋騎手は、オークス、ダービーと2週続けてG1で3着と馬券に絡んでいます。オークスでは、守りに行っての3着で悔しい感じはありましたが、ダービーの3着は攻めてつかみ取った勲章です。鞍上石橋は、もはやプラス材料といっても過言ではなく、キャンベルも、石橋が乗った2走ではどちらも2着(6番人気、7番人気)と連に絡む走り。今回はG1ですが、馬券には絡んでくると思うし、ハマれば1着になっても不思議ではない。不安材料は、今回叩き3走めであり、前の2走ともメイチに仕上げられたことだ。その反動が心配されるが、それにしても2日の11時半時点で単勝10番人気は評価が低すぎる。枠も真ん中で、相手なりに好走するであろうキャンベルがこの程度の評価なら、馬券の軸には最適である。

 相手には、堅実な走りが続く「リスグラシュー」と、サトノアラジンにつぐ里見オーナーの「サトノアレス」。

 マイル初挑戦の「スワーヴリチャード」と、府中での成績が悪い「ペルシアンナイト」は人気ほど信頼できない。

うどん屋で新メニューを頼んだら・・・

 14時過ぎ、授業の合間に、近くのうどんチェーン店に行った時のこと。タルタルソースのかかった新メニューが登場していることに気づき、注文しました。うどんを注文して受け取るまでの間、並んでいる天ぷらに目をやります。すると、「鶏天」という新たな揚げ物を見つけたので、ひとつ取りました。レーンを進みうどんを受け取ると、そこには何と「鶏天」が乗っていました。そう、新メニューは「タルタル鶏天うどん」だったのです。天ぷらコーナーの鶏天とまったく同じものが6個くらい乗っていました。私は、それを知らずに何となく新メニューを頼み、何となく鶏天を取ってしまったのです。店員さんからすれば、よっぽどの鶏天好きに思われたでしょう。レジでお金を払うとき、何となく恥ずかしい思いをしました。加えて、食べ終わった後、胃がもたれてしまいました。

服に対する価値観

 

 私が服に求める条件は以下の通りです

 

① 温度を適切に調節できる

② 着心地が良い(サイズ、素材)

③ 機能性が良い(動きやすい、ポケットが使いやすい)

④ 値段が安い

 

 この条件を総合的に勘案して、服を選びます。4つの条件をすべて満たしている高校のジャージは評価が高く、大学生になった現在でも高校のジャージを着て外出します。皆さんの中には、「えっ、高校のジャージで出かけるの!」と思った人もいらっしゃると思います。高校のジャージで出かけることに抵抗のある人も多いでしょう。私は、そんな皆さんに問いかけます。「どうして、高校のジャージで外出しないのですか?」ジャージは通気性がよく、温度を調節するのに優れています。私の主観にはなりますが、着心地が良く、ポケットもついているので機能性にも優れていると思います。値段に関しても、高校のときに買わされているので、むしろ着ないと損になります。こんな素晴らしいジャージ、着ない手はありません!!(ジャージ会社の回し者ではありません)

 高校のジャージで外出することに抵抗がある方は、固定観念にとらわれているのではないでしょうか。「シャツインはダサい」というのは、本当にあなたの考えですか?おそらく、周りの多数派が考えた意見だと思います。昔からの固定観念の積み重ねが、一人ひとりの思考を停止させてしまったのです。私には、”オシャレ”という概念がありません。”オシャレ”というのは、ファッション業界が高い服を売りつけるための口実でしかありません。”オシャレ”を生業にしているモデルやデザイナー達を儲けさせるより、服の本質的役割に目を向けて衣料品を選ぼうと思っています。「シャツインはダサい」と確固たる信念もなく思っている人は、何となくの多数派(サイレントマジョリティ)になってしまっているのです。情報が氾濫する世の中で、考えに迷ったときは物事の本質を見極めることを心がけましょう。

 少し前にアムラーというファッションが流行りました。(どんなファッションなのか、私にはよくわかりません)しかし、安室奈美恵が着るから似合うのであって、それがすべての人に当てはまるわけではないと私は思います。自分の着るものくらい、自分の価値観で選びましょう。

 

何となくの多数派(サイレント・マジョリティ)で本当にいいの?

 日本では、小学校の頃から集団で行動することが求められます。物心がつくかつかないかの年齢の頃から、人と同じように行動することを求めては、個性を表現するとは難しくなるでしょう。個性を押し殺して周りに合わせることが本当に正しいことなのでしょうか?もしかしたら周りが間違っているかもしれません。自分の頭で考え、自分なりの正解を求める教育を進めていくべきだと思う。

 一人ひとりがばらばらな方向に向かわれると手におえないので、同じ目標を設定して同じ方向を向かわせたいのだろう。受験戦争はその最たるものだといえる。高校受験では、国・数・英・理・社の五科目を覚えることが求められる。これらをより多く覚え、より高い点数を取った人が優秀だというのは、いささかおかしな話だ。さらに、大学入試ではこの中から得意な科目を選び、文系か理系かを選択する。この世界には、筆記試験的なものに満ちあふれているのだろうか。限られた時間内で、教科書や参考書を見ることもできず、他人と相談もできない。こんな場面、現実の社会ではほとんどないシチュエーションだと言える。たとえば、何かしらのプロジェクトを進めるとき、時間の制約は存在するかもしれないが、グループで話し合って協力し、関連する情報を本やインターネットで探して仕事を進めるのが一般的である。それならば、一人で暗記に頼って問題を解く能力より、何人かで協力して答えを探させる能力を鍛えるべきではないのか。ここまで書くと、先ほどの集団行動に対する批判と矛盾していると思われるかもしれない。しかし、日本の学校で行われている集団教育は、数人で協力して答えを探させるものではない。答えが決まっている問題に対して、教員がクラス全体を誘導していくものに過ぎないのだ。世の中には答えのない問題の方が圧倒的に多い。少子化高齢化、相対的貧困の増加、労働環境の問題など、決まった答えがあればとっくに解決されているはずだ。「ザ・ベスト」な解決策がない以上、「マッチ・ベター」な解決策を提案していくしかない。これまでに出された答えをより良いものに変えていく、これを実行するためには生徒一人ひとりに判断基準を持たせ、自分なりの解答を作成させる能力が必要となるだろう。今の教育に不足しているのは、物事を分析する能力を身に着けることだと思う。

 私の高校時代、進路指導の方針は「少しでも偏差値の高い高校に入るべき」という考えしかなかったように思える。たしかに、偏差値というものを物差しに大学を選ぶ生徒がいてもいいと思う。しかし、学校全体が偏差値という考え方を生徒に押し付けるのはいかがなものかと思う。私はFランクの大学に進んだが、偏差値だけでいえばもっと高い大学にも進めたかもしれない。しかし、「奨学金が給付される」「少人数教育が充実している」「家から近い」という自分なりの判断基準からすれば最高の選択であったと、自信をもって言うことができる。大学に入るまでテストの点数だけで評価されていく教育のあり方に、今一度疑問を呈したい。有名な大学でも授業をさぼったり、授業中寝ている学生が出てくるのは、自分の将来を偏差値でしか考えず、明確なビジョンを持てていないからだと思う。

 このブログを読んでくださる皆さまには、ぜひ自分の判断基準を持って行動してほしいと思います。その際、世間から見て少数派だったとしてもまったく問題ありません。むしろ、何となく多数派の意見に賛同して周りに流されるのは危険だと思います。

陸上部の思い出

 中学時代、何か部活に入らなくてはと焦っていた私は陸上部を選びました。チーム競技は苦手で、卓球のように技術が必要とされるスポーツも向いてないため、消去法で陸上部に入りました。種目は走り幅跳びを選びましたが、夏の総体が終わり3年生が抜けたタイミングで短距離(100m・200m)に転向しました。この時期急に足が速くなっていた私は、部内でも1位2位を争うほどの記録を出します。特に、中盤の加速が得意な私にとって200m走はぴったりの種目でした。

 部内には、短距離で全国レベルの女子の先輩がいました。また、同学年には長距離種目で市内トップクラスの人がおり、彼は箱根駅伝にも出場しています。県大会、関東大会に出場して勝ち負けを狙えるメンバーがいる一方、私はそのレベルまでたどり着けません。大会に出るたびに、入賞への壁の高さを思い知らされます。練習が嫌いだった私は、部活の顧問が変わり練習メニューが厳しくなった2年生の秋に陸上部をやめてしまいます。ちなみに、100m走の最高記録は13秒1で、出したいと思っていた12秒台にはあと一歩手が届きませんでした。

 高校生になって、ふたたび陸上競技に興味を持ちます。中・長距離走の駆け引きが面白いと感じたのです。自分は体力がないため長距離は苦手ですが、観戦するのは大好きです。特に、全中の1500m走はタイムよりも順位を狙うため先頭を引きたくありません。なので、全体的に牽制が入りスローな流れになります。そして、最後の1周や残り200mぐらいで、よーいどんのレースになります。(個人的に、競馬に似ていると思います)何年も陸上(というより運動)から離れてしまっているため、再び走ることは出来ませんが、いつか陸上の指導者として大舞台に立ってみたいと思います。

 ソフトボールといい陸上といい、なぜか競技をやめた後にスポーツの奥深さに魅了されるのです。どちらも、現役時代に競技理論について考えることができていたら、もっと有意義に取り組めたのにと思います。ばりばりの体育会系で活躍されている皆さん、スポーツ専門誌などを読み、体だけでなく頭を使ってみてはいかがでしょうか?