多趣味な社会人のブログ

プロ野球、自転車レース、競馬、財テク、政治経済、教育問題など様々な記事を発信しています。

嫌われても気にするな!!

 今の日本人は、人に嫌われることに敏感になりすぎているように思います。嫌われることを恐れて、つい周りに合わせてしまうことありませんか。人間関係が必要ないとは言いませんが、それよりも自分の軸を貫くことが大切です。

 私の大好きなおニャン子クラブは、万人受けするアイドルではありません。一部の熱狂的なファンがいる反面、低俗だと批判する意見もありました。しかし、カリスマと呼ばれる人たちは、もともと全員に愛されようなどと思っていません。夕焼けニャンニャンの司会を務め、お笑い界の確固たる地位に君臨しているとんねるずや、ライブドア問題で服役するも、現在ではブログや講演会で情報発信を続けている堀江貴文氏など、ファンも多いがアンチも多いのが実情です。万人受けをするように振る舞うと、牙を取り除いた虎のようになってしまい、アンチはいないがファンもいない状況に陥ってしまいます。そもそも、タレント業というのは多くの人に認知される必要があります。嫌われるということは、世間に知られていることの裏返しでもあるのです。

 私がブログを書く時も、万人に受けようとは考えていません。ある人が見れば賛成し、別の人が見たら反対するような記事を書こうと心がけています。その記事がきっかけで議論が巻き起こってくれれば、記事の価値は何倍にもなります。私のブログを読んでくださる皆さん、否定的なリアクションでもいいので、ぜひコメントに書き込んでください。

受ける価値のある授業

 大学で受ける価値の授業、それは相互にインタラクティブな授業です。どういうことかというと、教員が一方的に話すのではなく、生徒との会話も含めて授業を成立させるべきだということです。以前にも取り上げたように、Nさんの授業は生徒の質問に答える形で進んでいきます。これこそ、まさに生徒と共に創り上げていく授業だと言えます。 
 一方的に話し続け、黒板に書いては消しを繰り返すような授業に価値はありません。そんな授業なら、週に1回キャンパスに行かなくとも、授業風景を映像で撮影して映像を送れば事足ります。そうしてくれれば、空いている時間に1.5倍速くらいで視聴するでしょう。授業によっては、200人近くの学生と教員が、同じ時間、同じ場所に集まるのですから、それだけの価値がある授業を提供してほしいものです。教員が研究内容を垂れ流すだけの授業をやったところで、誰も得しません。研究の成果を表した論文と、重要なポイントをまとめた資料をメールで送ればいいだけの話です。ネットが発達した現代において、一方的に話すだけの教員に価値はないのです。

どうぶつしょうぎに魅せられて

 中3の頃、「どうぶつしょうぎ」というボードゲームに魅せられ、毎日何時間も戦法の研究を行っていました。「どうぶつしょうぎ」とは、将棋を小さくしたようなゲームで、3×4ますの盤上に、ひよこ、ぞう、きりん、らいおんの4種類のコマが並べられ、それを動かして遊びます。勝利条件は、相手のらいおんを取るか、自分のライオンが相手の陣地に到達することです。つまり、「どうぶつしょうぎ」のらいおんという駒は、将棋で言うと王様に当たる役割というわけです。12マスという限られた盤上で、たった4種類しかないコマを動かすという、単純に見えて複雑な部分に面白みを感じました。最初は、下敷きに線を引いて盤を作り、将棋の駒を代用して遊んでました。当時、パソコンやスマートフォンを持っていなかったため、対戦相手は弟しかいませんでした。1人で研究するか、弟と対戦するしかなかったため、戦術の幅は狭いものでした。したがって、自分で編み出した数少ない定跡を、とことん深いところまで掘り下げていました。単純でパターンが少ないゲームこそ、一つひとつの定跡を深く研究できるので、完璧主義に近かった私には向いていたのだと思います。高校生になったら、本屋に行って「どうぶつしょうぎ」を手に入れました。駒は、積み木のようなものにそれぞれの動物の絵が描かれたシールが貼り付けられただけの、単純なものでした。どうぶつしょうぎセットを購入するほど、このゲームに熱中した私でしたが、試合の進行自体はほぼワンパターンで単調なため、やがて飽きてしまいます。深く掘り下げれば掘り下げるほど、どうしても後手が有利な変化にしかならないのです。実際、「どうぶつしょうぎ」は解析が進められており、後手が必勝ということが分かっております。ちなみに本家の将棋は、まだどちらが必勝か結論が出ていません。高段者の間では先手が有利と言われていますが、もし先手必勝という研究結果が出てしまったら、プロ棋士という仕事が成り立つのか、考えるだけでぞっとします。実は、「どうぶつしょうぎ」の大会が開かれていたらしいのですが、高校時代のITリテラシーではその情報までたどり着けませんでした。熱中していたあの時、大会に出場していればと思います。大学生になってからは、ほとんど「どうぶつしょうぎ」に触れていません。「どうぶつしょうぎ」の研究書のようなものを書き上げようと思っていたのですが、不完全燃焼で終わってしまいました。

極論を持て

 皆さん、自己主張は得意ですか?自分の言いたいことをうまく伝えられないというのは、日本人特有の奥ゆかしさだと思います。美徳としては素晴らしいのかもしれませんが、ビジネスの世界では致命的な欠点になります。そこで、様々な事柄において極論を持つことを、普段から心掛けてください。例えば、動物愛護のニュースを見て「動物の命を大事にしよう」という人は多いでしょう。しかし、この意見はありきたりすぎて誰の記憶にも残りません。ここでは、「ゴキブリ一匹殺してはいけない」反対の立場なら「食用にならない動物はすべて絶滅させろ」といった意見を持つべきです。なぜなら、これらの主張には強烈なインパクトがあり、極端な主張と共に自分の名前や人柄まで覚えてもらえるからです。忙しいビジネスマンは、たくさんの人と会います。平凡な意見話をしているだけでは、人々の記憶に残りません。背景にある根拠やロジックがしっかりしていることが前提ですが、予定調和から外れたようなことを主張すれば、初対面の相手でも間違いなく顔と名前を一致させてくれるでしょう。もちろん、自分の主張に嘘があってはいけません。しかし、自分の意見を強く持ち、より大げさに表現する能力が必要になると思います。ビジネスの世界では、何となく人と同じ意見に乗っかているだけでは、相手にされなくなります。

学生なんだから、一人で行動しろ!

 大学内で、常に友達と行動している人を見かけます。昼食や休み時間を一緒に過ごすだけでなく、友達同士で同じ授業に参加している光景をよく見かけます。おそらく、友達と相談して、履修する授業を決めているのではないでしょうか。もちろん、私も同じ学科の友人と授業が一緒になることはあります。ただ、私は自分の価値観に従って、受ける授業を決めています。かつてその授業を受けた先輩に、その授業が有意義なものだったかを聞くのはありだと思います。しかし、大教室の後ろでひそひそ話をするために、友達と示し合わせて同じ授業を取るのはおかしなことです。これは、私の通っている大学に限った話ではないでしょう。

 クラス単位で団体行動をするのは、高校生までのお話です。大学生や社会人になったら、小・中・高の12年間で染みついてしまった、まるで軍隊のような団体行動の仕組みから脱却しなくてはならないのです。何も、大学で友達を作るなとは言ってるのではありません。私も、キャンパスライフを通じて、生涯の知己を得たいと思っています。しかし、何となく一緒にいて楽しい人を集めたところで、いざという時には何の助けにもなりません。せっかく、クラスという呪縛から解放されたのですから、自分で判断して自分で行動する能力を身に付けましょう。

役満を目指す人生

 皆さんが目指す人生とは、どのようなものですか?

 おそらく、大半の人は何事もなく安定した人生を目標にしていると思います。中学生になったら、学習塾に通って少しでも偏差値の高い高校を目指す。高校に入ったら、少しでも偏差値の高い大学を目指す。大学生になったら、有名企業や公務員を目指す。そして、組織の中である程度出世をして、運命の人と出会って家庭を築き、大きな事件もなく老後を迎えるという人生設計を理想としているのではないでしょうか。

 私が理想とする人生は、上記のものとは全然違います。安定とはかけ離れています。リスクをとってもいいから、年収数億円稼ぎたい。大きなビジネスのオーナーになりたい。競走馬を所有して、ダービーオーナーになりたい。10億円を超える豪邸に住みたい。こんな、非現実的と思われる夢を、本気で叶えるつもりいます。

 多くの人が理想とする人生を麻雀で例えると、タンヤオピンフ一盃口などを積み上げてより高い点数を目指す生き方だと思います。そこに、赤ドラや裏ドラが乗ればラッキーといったところでしょう。一方、私の目指す人生は役満を目指しています。多くの人が字牌やヤオチュー牌を捨てていく中で、私は国士無双狙いで数牌の真ん中から捨てているイメージです。普通の役では、ドラによる点数の上乗せがありますが、役満では上乗せがありません。有名な会社に入って平社員から係長に上がり、高めの牌を積もれば部長、一発や海底がついて役員クラス、他の人がカンをしてくれるか、リーチで裏ドラが大量に乗れば、数え役満で社長といった人生でしょう。私が目指すのは、自分でビジネスを立ち上げ、それを大きく育てていき、最終的には自動的に収入が入ってくる仕組みを作りたいと思っています。

 役満を目指す人の考え方は、満貫や跳満を目指す人とは根本から異なるのです。

ミノルを買う理由

 アクティブミノルレーヌミノル、スピリッツミノル、いずれも吉岡實オーナーが所有する競走馬です。レーシングプログラムの中に、「ミノル」の冠名が付いた馬を見つけると、応援の意味で複勝馬券を買います。なぜ「ミノル」を応援しているかというと、高校時代の数学の教員と国語の教員の名前が、どちらも「実」だったからです。しかも、二人とも2年間に渡って通知表に5をつけてくれました。新馬戦や未勝利戦で、人気がなくても「ミノル」を買うようにしていたんですが、なぜか桜花賞の時には買いませんでした。このレースでは、マイルに対応できないと思われていたレーヌミノルが大方の予想を裏切り優勝し、単勝が4080円もつきました。「ミノル」が牝馬クラシックのG1桜花賞という大舞台に出走したにもかかわらず、馬券を買わなかったことに後悔しました。オッズに惑わされず、「ミノル」を信じて馬券を買っていればよかったのです。大穴馬券というのは、多くの人が予想できない結果になるから高配当になるのです。大穴は、理屈で考えたり、競馬新聞の予想印を見たところで当てられるわけがありません。それならば、自分に縁のある名前の馬に賭けて、高配当を狙ってみてはいかがでしょうか?もちろん、大穴を狙って損したとしても責任は負いかねます。