多趣味な社会人のブログ

プロ野球、自転車レース、競馬、財テク、政治経済、教育問題など様々な記事を発信しています。

せっかくたむけんが来店したのに・・・

 先日、「普段のたむらけんじは面白くない」という趣旨のツイートをしたラーメン店が批判を浴び、炎上する騒動がありました。善意で写真撮影に応じたたむらさんに対してこのツイートはいかがなものかと思いますし、ラーメン店に対してクレームの電話をかける人もどうかと思います。来店した客の悪口を書くラーメン店はサービス業失格ですし、この件に関係していないにもかかわらずクレームをつける人はその店に行かなければいいのです。

 視点を変えてみます。なぜラーメン店側はなぜたむらけんじさんの来店をビジネスチャンスととらえなかったのでしょう。たむらけんじさんといえば「炭火焼肉たむら」など飲食店を10店舗以上経営する辣腕経営者として知られています。せっかく飲食店経営者のたむらけんじさんが来店したのに、それをアピールしないのはもったいなさすぎます。私が店長ならば「カリスマ飲食店経営者が来店!」と大々的にアピールします。皆さんも、飲食店経営者が通う店は美味しいというイメージを持っているはずです。その点を前面に押し出せば、相当な宣伝効果が期待されます。飲食店の店長ならば、たむらけんじさんを芸人ではなく飲食店経営者として認識するべきです。

予算から考えてはいけない。プロジェクトから考えろ!!

 毎年、政府予算の話題がメディアを賑わせますが、今回は予算とプロジェクトの関係性について考えてみましょう。

 公共事業を検討するとき、予算が足りないからやらない、という結論が出ることがしばしばあります。しかし、予算がないから中止するというのでは筋が通っていません。施策の是非を決めるには、かけたコスト以上のメリットを得られるかを検証する必要があります。予算がないからできないと言っていたら、本当に必要な施策がなおざりになってしまいます。逆に、決められた予算を使い切ることを目的に事業計画を策定すると、必要のないことまで計画に含まれてしまいます。これは、今年度の予算を基準に次年度の予算が割り当てられるために発生する役所特有の現象で、民間企業では当たり前の費用削減という概念は存在しません。

 予算が少なければ必要な施策を縮小または削減し、予算が余っていれば余分な事業を増大する。これでは本末転倒です。そもそも、予算は住民に対して必要な公共サービスを提供するために配分されるものであり、予算に合わせて提供するサービスを決めるのは順番が逆でしょう。まず必要なサービスが何か考え、それを満たすための手段として費用対効果の高い方法を検討するのが筋というものです。市民が支払った税金がどのように使われているか、我々も厳しくチェックする必要があると思います。

病院の待ち時間について

 先日、ホリエモンこと堀江貴文さんがツイッター上で、「病院に予約して行ったのに待たせすぎ」という発言をつぶやき、賛否が巻き起こりました。たしかに、日本の病院は患者を待たせすぎだと思いますし、金持ちだからって威張るなという意見も分からなくはありません。

 しかし、この問題の本質は、予約したにも関わらず待たされたという点にあると思います。例えば、予約したレストランに時間通りに行ったにも関わらず、30分待たされたらどうするでしょうか。おそらく、そんな店二度と行かないでしょう。しかし、病院はレストランと違って公共サービスを提供している場所です。別の病院に行くという選択肢もありますが、おそらくどの病院に行ってもそれなりに待たされることでしょう。なぜなら、日本の医療サービスはすべての国民が平等に受けられる仕組みになっているからです。国民皆保険制度があるおかげで、基本的な診療に関しては3割の自己負担で受けられます。加えて、収入の少ない高齢者は2割か1割の自己負担で受けられ、生活保護受給者は無料で医療サービスを受けることができます。

 ここで、アメリカの医療制度を見てみましょう。アメリカにも保険制度はありますが、65歳以上の高齢者や老人などを対象にしたもので、該当しない人は民間の保険に加入するしかありません。しかし、民間の保険は費用が高額なため国民の約15%が無保険状態であるといわれています。加えて、保険に入っていたとしてもそれなりの医療費がかかります。一例をあげると、盲腸で1週間入院すると7万ドル(約770万円)かかります。なぜ医療費が高額になるかというと、アメリカでは病院側が医療費を自由に設定できるからです。医療費が高額なため、保険会社が設定する保険料も高額になります。これらの理由から、軽い病気程度では病院に行くのをためらう人が多いため、アメリカの病院はそこまで混雑していません。アメリカでは、高額な医療費を払える金持ちだけが充実した医療サービスが受けられるのです。

 日本とアメリカの医療サービスの違いをまとめると、日本では国民皆保険制度が導入されていることに加え医療費自体も低額なので、誰でも病院に通えます。しかし、その裏返しとして、病院で何時間も待たされてしまうのです。もし高額な医療費を取る病院があれば、金持ちだけしか来ないので待たされずに済むと思いますが、日本の医療費決定には国が介入しているため、病院の判断で勝手に医療費を高額にすることはできません。そのため、庶民も金持ちも同じ条件で待たなくてはならないのです。一方、アメリカでは公的保険制度が十分でなく医療費も高額なので、医療費を払う余裕のある人しか病院に行きません。したがって、アメリカの医療制度では金持ちが優遇されているわけです。

 誤解されないように言っておきますが、日本とアメリカどちらが正しいかという問題ではありません。平等を掲げる日本と自由を謳うアメリカでは政策が違って当然です。誰でも低額な医療を受けたい人は日本の医療制度を利用すればいいですし、高いお金を払ってでも待たされず快適に医療を受けたい人はアメリカに行けばいいのです。堀江さんはアメリカで生活するほどのお金を持っているはずなので、日本の病院に目くじらを立てるくらいならアメリカで医療を受けるべきでしょう。

当ブログの連載小説が、大手出版社から出版を打診されました!!

 以前、このブログで「終われない青春」という小説を連載しました。過去記事を載せましたので、興味のある方は是非読んでみてください。この小説は、全26話完結となっていますが、途中まででも読んでいただけると嬉しいです。
 昨年末、文芸社がアマチュアの小説を募集していたので、上記の小説を推敲し直して、文芸社に送りました。その結果、文芸社から封筒が届き、出版してみませんかという打診を受けました。実際に文芸社に赴くと、20代後半の男性社員の方が、出版の流れや流通のシステムについて熱心に説明してくださいました。さらに、私の作品は出版できるレベルだと言われました。出版のプロの方に、自分の作品を認めていただけたのはとても嬉しかったです。しかし、実際に出版するとなると、自費出版で200万円ほどかかると言われました。今の私にとって、200万円という金額はとても大きな金額だったので、出版を諦めてしまいました。

 文芸社山田悠介さんや神永学さんなど有名作家を輩出しています。その文芸社さんに出版できるレベルとの評価をいただいた作品をぜひ読んでみてください。そして、作品に対するコメントなども頂けると嬉しいです。

受験生の敵は「雪」と「インフル」!?

 2週間前にセンター試験が行われ、明日は都内で私立中学入試が行われます。1月から2月にかけて、各地で入試シーズンを迎えます。私も塾の講師をやっているため、この時期は教え子の進路が気にかかって仕方ありません。受験は人生の分岐点となるわけですが、とんでもない悪条件で戦わなくてはいけません。

 第一の敵は雪です。普段雪が降らない都心では、交通網がマヒする恐れがあります。時期の悪いことに、今夜から明日にかけて雪の予報となっています。受験生の皆さん、早めに家を出て、安全に受験会場までたどり着いてください。

 第二の敵はインフルエンザです。受験シーズンがインフルエンザが流行しやすい時期と重なっているため、ワクチンを接種する受験生も多いことでしょう。受験当日にインフルエンザを発症してしまうとまずいのはもちろんのこと、受験前に発症すると勉強時間が削られてしまうので、最後の追い込みがままならなくなります。

 受験は他の受験生との戦いだけでなく、困難な環境を乗り越える力も求められているのです。雪やインフルエンザの時期に受験が行われることはいかがなものかと思いますが、受験生がそれを言っても仕方ありません。受験生の皆さん、万全の準備をして受験当日を迎えてください。

【オセロ】ボードゲームで大ポカ!

 先日、舘林オープンというオセロ大会に参加させていただきました。結果は3勝3敗で6位(12人中)でしたが、格上の三段相手に2勝してのものなので、我ながら素晴らしい成績だと思います。

 問題は、オセロ大会終了後に行われた3盤勝負。3盤勝負とは6×6オセロ、どうぶつしょうぎバックギャモンの3競技を、7分の持ち時間で同時に行う競技です。時間切れは即負けになってしまうので、3つの盤面を同時に素早く考えなくてはいけません。初戦、オセロ四段の相手と戦いました。最初に、どうぶつしょうぎで勝利しました。後は、6×6オセロかバックギャモンのどちらかで勝てば、3盤勝負を勝利することができます。残り時間が1分を切ったころ、バックギャモンの盤面は有利でしたが、あがるのに時間がかかりそうだと思いました。そのため、自信のなかった6×6オセロの負けを認め、バックギャモンに命運を託すことにしました。バックギャモンは私が有利な局面でしたが、残り30秒でどう考えてもすべてのコマをゴールさせることは厳しそうに思いました。そこで、相手のターンが終了する前にさいころを構え、チェスクロックを押した瞬間にさいころを振るという暴挙に出てしまいました。これは、もちろん反則で、結果的に私の負けになりました。試合を荒らしてしまったことを猛省しています。

 この試合でのミスは、もちろん反則を犯したことですが、もう一つ重大なミスを犯しています。それは、6×6オセロを途中まで戦ってしまったことです。もっと早い段階で投了していれば、バックギャモンで全部のコマがあがるだけの時間を残せたと思います。極論を言うと、1手目の段階で投げ出せばよかったのです。そもそも、6×6オセロでオセロ四段の相手に勝てるわけがないのですから、やるだけ時間の無駄だったのです。6×6オセロを捨てたとしても、どうぶつしょうぎで勝つ自信があったのですから、バックギャモン勝負くらいの心構えで戦うべきでした。3月に行われる大会では、リベンジを果たしたいと思います。

「AIに仕事を奪われる」は間違い

 近年、AI(人工知能)は囲碁や将棋のプロと互角以上の勝負をするほどに凄まじい進歩を遂げています。そんな中、AIに仕事を奪われるといった声をよく耳にします。はたして、本当にAIは労働者の脅威となるのでしょうか?

 そもそも、AIの定義とは何でしょうか。実は、AIを明確に定義することはできません。知性や知能というものを明確に定義することが困難であるからです。ここではAIを「人間が教えた以上のことができるコンピュータ」と定義しましょう。教えたことを完璧に行うコンピュータ自体はだいぶ前から存在し、工場の現場ではすでにFA化(生産工程のほぼすべてをロボットに任せること)が進んでいます。これまでも、製造業では人間の仕事をロボットが代替してきたのです。しかし、FA化が進んだところで大きな問題が起こったとは思えません。むしろ、危険な作業の大部分をロボットが行うようになり、人間が事故に巻き込まれるリスクが減ったと思います。そもそも、単純で賃金の低い作業なんてやりたいですか。人間が嫌がる仕事をロボットに任せたらよいのです。

 19世紀前半のイギリスにおいて、産業革命にともなう機械の普及によって失業の脅威を感じた労働者によってラッダイト運動が引き起こされました。労働者は、仕事が奪われることを危惧したわけですが、技術革新が進んだ現在からすると、労働者が機械を打ち壊して抵抗したところで焼け石に水だということが分かります。どう考えても、社会が発展する流れに逆らうことはできません。

 ところで、AIと人間の関係はどのようなものであるべきでしょうか。答えは、人間が主、AIが従の主従関係です。つまり、AIは人間のために働く高性能な奴隷のようなものです。人間を奴隷にすることは断じて許されることではありませんが、AIなら24時間365日、主人である人間のために働かしても全く問題ありません。これから、AIを徹底的に活用した人間がとてつもない成果を出せる時代がやってきます。AIを使えば、これまでとは比べ物にならないほどのレバレッジを効かすことができます。AIに仕事を奪われるのではなく、AIに仕事をやらせる、という風に考え方をシフトしましょう。AIは人間何十人分もの働きをする優秀な奴隷なのです。